暗くて長いは平常運転

読んで不快になってもそこは自己責任ということで

フィギュアスケートと町田樹とその他諸々のその後のその3

ティムシェルってね、いろんな解釈の仕方がありますよね。

聖書では神が弟殺しちゃったアベルに言うわけ、ティムシェルって。
罪に打ち勝てと訳す場合もあれば、打ち勝つこともできんじゃね?くらいの解釈の仕方もあるし、エデンの東だと自分の意思で自分の道は決められるくらいの解釈。罪を犯してもそこを乗り越えたら栄光があるんだよっていうね。
爆笑の太田光は人間は選択権を与えられた、ということじゃないかって言ってました。
私としては言葉でごちゃごちゃ言うよりも12-13シーズンのGPFから13-14シーズンのGPFまでの町田君を見ればそれがティムシェルとは何か?の答えになると思ってます。
そんでエデンの東で示されているように、辛いこと苦しいことを乗り越えて光を掴み真の強さを手にして今に至る、ですよね。うん、祝祭版までで町田君のエデンの東は完成した、で間違ってないはずです。
で、です。ティムシェルの「できるかもしれない」「自分の意思で道は決められる」の中に(極端な話)突き放されたような不安とか恐怖が胸をよぎる時があるんです。聖書もエデンの東もなんか大変なことしでかしてこれからどうすりゃいいの⁈ってなってる時に「ティムシェル」って言われる恐怖(恐怖というか、えー⁈っていうくらいの感じ) です。
まずこれが一つ。
 
次はこれ
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さすが西炯子
老人とか老いはこの話に直接関係はないです。ないですが、新鮮なものは珍しい、新鮮で珍しいものを人間は放っておくことはできない。ということが私が今「町田君のことどうなん?」ていう悩ましい部分に関わっているなと思うんです。
ここまででも十分長いしおもしろくもなんともないですが前提です。
 
ししゃもんが初めて見て、好きになった当時の町田君はもういなくて、
彼は進化して、またはアポトーシスを経て脱皮して、
前とは違う顔で「でもこれが今の僕です」って言って華麗に舞ってて、
それは「思ってたんと違ーーーーう!」ということも、あるのかもしれないなあ、
と私などは思ったわけです。
「思ってたんと違ーーーーう!」とは思ってないし、「当時の町田君」がもういないことはちゃんとわかってます。
ソチで「僕は世界選手権でメダルを獲ることができるスケーターだとわかった」と言った時も、テレビ東京の番組で「過去の自分が愛おしい」と言った時も本当にうれしかったし、その狂喜乱舞とは真逆の静寂でとても満たされた気持ちは言葉にすることができないわけです。
町田君は今とても客観的に正確にスケーター町田樹とはどのような存在か?ということを知っているのだろうと思うし、これからたくさんの愛と賞賛、たゆまない努力、スケートに対する思いを糧に駆けていくかと思えば今後も町田君からたくさんの喜びや楽しさをもらえるんだろうな、早くシーズン始まらないかなぁっていう気持ちは確かにあるわけです。
それは間違いないのです。じゃあお前は一体何をグズグズ言ってるんだ?「町田君素敵!好き!」って素直に言えば?って話ですよね。
それができりゃ苦労はないわけで、できない何かがまだあってそれは何か?
…まあでも、ひとつ思うのは、
町田君はなんせもうそういうせせこましいステージから超越しており、
すでに飛び去った後じゃね?ということです。
アンタが見てる沼に、もう町田はいないよ?的な。
うん、これです。私が見てる沼に今の町田君いないんですよ。前はいたかも疑わしい。
そもそも私はいわゆる町田沼と称されるものに居たのか?と言えばたぶんNO。
沼の定義が何かは判断の別れるところではありますが、たぶん沼に居たことは一度もないんじゃないかな。
ちょっと出かけて行くくらい。これはファン歴の長短は全く関係ないことです。
でも私はものすごく町田君が好きだ!っていう人が珍しくて新鮮だったんです。
別に今まで全くいなかったわけじゃないけど、積極的に探しに行かないと見つからない状態とは天と地ほどの差があって気になって気になってお話してみたくて仕方なかったんです。
そこが居場所ではないけれど、そこにいると本当に楽しいしうれしい。けど、楽しくて「ここにいたい気持ち」と拭いきれない「ここじゃない感」の二律背反なわけです。めんどくさ(笑)
ここじゃない感はご存知の通り、現時点の町田君のスケートをキレイだしすごいなと思うけどその先がみえてこない状態のことで、他にそんな風に言ってるのは自分の守備範囲内にはいないわけです。
もちろん口に出していること、つぶやかれていることが全てじゃないし言わずにいることがあるのは重々承知してます。
が、こうも99対1みたいな状態だと自分に疑惑の目を向けたくもなるわけで。
ただ、これは突き詰めていくと好みの問題なわけですね。
適切な言葉が出てこないけど、辛いこと苦しいことままならないことがあるけどなんとかして現状を打破したい、もがいてもがいて明るいところに行きたい、みたいな感覚がすごくすごーく好きなんですね私は。
だからエデンの東白夜行も過去の町田君も脳内で自動再生できるくらい好きなんです。
祝祭版のエデンの東も、今滑ってるロシュフォールも眩しすぎるんです。
見たいけど眩しいしサングラスも日食メガネも持ってないから目を背けるのが精一杯なんです。
たぶんみんなもサングラスとか日食メガネなんか持ってないはずなんです、だけどちゃんと今の町田君を見ることができる。たぶん町田樹そのものが好みなんであって、正しい正しくないは関係なくそれがすごく好きってことなんじゃないの?と、私も町田君好きだけどそこまでじゃないよなぁすごいよなぁと考えちゃう。
この先どうなるかは、おそらく14-15シーズンが始まらないとわからないのでこの話はとりあえずこれで終わり。
シーズン始まる前にプッツリ切れちゃうこともないとは言い切れないけど、そんなこと考えるだけ無駄なので切れそうになった時にまた考えることにします。
はい、しゅーりょー!(長かった)