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暗くて長いは平常運転

読んで不快になってもそこは自己責任ということで

フィギュアスケートと町田樹とその他諸々のその後のその2

ししゃもさん実はフィギュアも町田君もそんなに好きじゃないんじゃね?問題には続きがあります。

いつもいつもお付き合い下さる、心優しい沼の民の大人のお嬢さんが批評してくださったのでした。

凝り固まってる自身へのドス黒い怨嗟みたいなものなのにちゃんと読んでくださったのです。優しいね。

引用していいよ、と言っていただいたから、またちょっと自問自答しますよ。

あんなに嫌悪してた「贔屓の引き倒し」が自分の中にあった

(3A並みの飛躍)

フィギュアも町田も言うほど好きじゃなかった!
 
3A並の飛躍…。うーん…何でこの結論に至るかですが、まずは『贔屓の引き倒し』っていうのは
「試合後に○○は不当な減点をされている」とか「○○選手が勝つように得点調整がされている」、または真央の3Aについて「挑戦することを最大限評価しろ!」「ジャッジの頭が回転不足」
の前後あたりが当たると思うんだけど、まず私は基本ジャッジの裁定には疑問を持たないようにしています。
だってどう考えたって自分とジャッジでは知識も判断基準も比べものにならないからですね。
回転が足りているかどうか一つとってみてもテレビで見てる映像と、ジャッジが見ている映像は違いますし。
どんなに高さがあろうが幅があろうが、ツーフットはツーフット、回転不足は回転不足なので減点やむなし。ましてや素人目に見ても回転の足りていないジャンプに対して「挑戦するだけでもすごいのに減点だなんて、ジャッジの頭が回転不足」だなんてありえねーよ!と。
助走が短かろうが、踏切までに難度の高いステップが入ろうがエッジエラーはエッジエラーですよね?
そしてフィギュアスケートが競技スポーツである以上ダメなものを評価しちゃダメだと思うんです。(ここでは特定の選手はエラーを取られない?問題はおいときますよ)
まずはこのような考え方が根底にあるとして、自分の好きな選手はどういった滑走であれ勝ってあたりまえ、その人以上に評価された選手は全て不正、買収!と言い張ってやまない一部ファンが大嫌いです。
本当に好きならいい所もダメな所も認めた上で滑走に見合った評価をなぜ下せないのか?何故負けた事を、評価されなかったことを受け入れられないのか?それがずっと疑問だったのです。
その疑問に対して出した自分なりの答えが「◯◯選手ではなくて勝者たる◯◯選手」が好きなのであって「勝つこと以外に価値を見出せない」からなんだろうな、というもの。
これが正しいか正しくないかはわからないけれども、ふと自分に置き換えた時に「何故世界選手権銀メダルという結果をうけいれられないのか?」「全て出し尽くしたから後悔はないという町田君をうけいれられないのか?」という疑問が湧き出できたわけです。
世界選手権後「あの羽生をあそこまで追い詰めてすごい!」という評価を何回か聞いたけれど、どうしても、何故そうなる!?と思わずにはいられないんです。
町田君と羽生、そんなに差があるか?町田君羽生にはまだ勝てない選手か?と。
それこそ贔屓の引き倒しなのか、欲目なのか、単に羽生を過小評価しているのかわからないけれども「羽生をあそこまで追い詰めてすごい!」なんて言われるまで思ってもみませんでした。
だからこそ後悔はないと言われて、えー⁉︎ともなれば、世界選手権銀メダルという輝かしい結果を純粋に喜べなかったというか今でも純粋に喜ぶことができずにいるわけです。
だって町田君はタイトルを手にするにふさわしい、これまでのチャンピオンと比べてなんら遜色のないスケーターになったし、世間がやっと町田君に追いついた‼︎って思ってんだもん。オリンピックだって世界選手権だって町田君が優勝するって本気で思ってたんだもん。
そうまでして何で「町田君いう程好きじゃないのかも」って思うのか?ですか?
またしても飛躍しすぎだと言われるかもしれないけれども、自分と自分があれ程嫌っている一部原理主義的なファンに同じようなにおいがするからです。
世界選手権の後羽生が「どうしても町田君に勝ちたかった」と言ったように町田君にも言ってほしかったんですよ、私は。そんな風に言ってもらえた羽生のファンが心底うらやましかったんです。
来年は金メダルめざす、とか来年はぶっ潰すつもりで、とかじゃなくてね。
町田君にイラっとして、自分の理想通りにならなかったイライラを選手にぶつける自分に絶望したんです。
自分の理想通りにならなかったイライラを他の選手にぶつけてる人たちの方が遥かにましだと思ってしまったんです。
2014-2015シーズンも今季と同じような終わり方をしたら?
また僅差で銀メダル、でもやりきった悔いはない。
しかし優勝した選手は自分のできに納得がいかない、どうしても町田君に勝ちたかった!と言ったら?どうなの?あんたどうなの?と。
そしてこんな風に考えて、来年も同じような反応をするであろう自分の姿を想像して吐き気がするほど気持ち悪くなったわけ。
自分は確かに数多いるスケーターの中では飛び抜けて町田君が好きだし、それは勘違いでも間違ってもいないはずなんです。
ただ、現時点でスケーター町田樹というものを受け入れて評価している町田君と、そのことを共に喜んで祝福している周囲の町田君ファンを見ていると、自分の町田君への気持ちの傾け方は歪んでいると思わざるをえないのです。
確かに好きという気持ちに上も下も、正解も不正解もないのかもしれない。
けれど周りはどうあれ自分にとっては町田君がうれしかったように、一緒になってよろこびたかったし、そうできる人たちがうらやましいのです。
フィギュアスケーター町田樹を見つめようとする度に、自分が作り上げた勝手なイメージがジャマをしていて、お前は本当の本当に町田君が好きなの?と問うた時に胸を張ってそうだと言えない現状が本当に好きなのは町田君じゃないんじゃないか?町田君が好きなわけじゃないんじゃない?というところに行き着く所以なんです。
そして、その考え方はおかしいとも、考え方を改めよと思えないところがお先真っ黒焦げなんです。
 
というわけでまずはこの問題についてはここが今のところ終点。
そしてもう少しだけこの話は続きます。